京都地方裁判所 平成5年(ワ)1068号 判決 1996年12月24日
乙事件原告(反訴被告)
極楽寺
右代表者代表役員
鵜飼泉道
外二六名
甲事件原告・乙事件原告(反訴被告)
竹原敏雄
右二八名訴訟代理人弁護士
山下潔
乙事件原告(反訴被告)高橋美枝子(高橋秀訴訟承継人)を除く右二七名訴訟代理人弁護士
山下綾子
同
金子武嗣
同
森下弘
同
秋田真志
右二七名訴訟復代理人弁護士兼乙事件原告(反訴被告)高橋美枝子(高橋秀訴訟承継人)訴訟代理人弁護士
浜田次雄
同
山下宣
甲・乙事件被告(反訴原告)
妙心寺
右代表者代表役員
山本勝己
右訴訟代理人弁護士
西尾忠夫
同
田賀秀一
主文
一 甲事件被告妙心寺は、甲事件原告竹原敏雄に対し、金一〇万円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件被告妙心寺は、乙事件原告らに対し、別紙目録(1)記載の墳墓地に立ち入ることについて、一切の妨害をしてはならない。
三 乙事件被告妙心寺は、別紙(4)「墓石位置及び建立時期一覧表」の墓石位置にある乙事件原告らの墓石を損壊してはならず、乙事件原告らの墓参、納骨等の宗教行為を妨害してはならない。
四 反訴原告妙心寺が別紙目録(1)記載の墳墓地につき所有権を有することを確認する。
五 甲事件原告竹原敏雄のその余の請求及び乙事件原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 反訴原告妙心寺のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。
七 訴訟費用は、甲事件については、これを五分し、その四を甲事件原告竹原敏雄の負担とし、その余を甲事件被告妙心寺の負担とし、乙事件及び反訴事件については、通じてこれを二分し、その一を乙事件原告(反訴被告)らの負担とし、その余を乙事件被告(反訴原告)妙心寺の負担とする。
八 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
以下の記述においては、下段の事項につき、上段の略称を用いる。
原告ら 甲事件原告・乙事件原告(反訴被告)二八名全員
個人原告ら 乙事件原告(反訴被告)極楽寺を除く甲事件原告及び乙事件原告(反訴被告)二七名全員―なお、右個人原告の個々については、「原告(氏名)」と表示する。ただし、原告名下の番号に従い「原告(1)」等と表示することもある。
原告極楽寺 乙事件原告(反訴被告)極楽寺
被告妙心寺 甲・乙事件被告(反訴原告)妙心寺
本件墳墓地 別紙(1)物件目録記載の墳墓地
本件貼紙 別紙(2)記載の貼紙
使用規則 別紙(3)の「妙心寺墓地使用規則」
一覧表 別紙(4)の「墓石位置及び建立時期一覧表」
墓地図面 別紙(5)の「妙心寺墓地地図」
排水溝設備等 本件墳墓地内(墓地図面の赤色部分)に設置された排水溝及び水道設備
本件登記 本件墳墓地につき京都地方法務局昭和二三年八月二〇日受付第一六一三四号をもってなされた被告妙心寺を所有者とする所有権保存登記
第一 請求
一 甲事件
被告妙心寺は、原告竹原敏雄に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件
1 被告妙心寺は、原告極楽寺に対し、本件墳墓地の所有権保存登記(本件登記)について、原告極楽寺と被告妙心寺の各持分をそれぞれ二分の一とする更正登記手続をせよ。
2 原告極楽寺及び被告妙心寺の間において、本件墳墓地は、原告極楽寺及び被告妙心寺の共有であることを確認する。
3 被告妙心寺は、原告らに対し、本件墳墓地に立ち入ることについて、一切の妨害をしてはならない。
4 被告妙心寺は、一覧表記載の位置にある原告らの墓石を損壊してはならず、原告らの墓参、納骨等の宗教行為を妨害してはならない。
5 被告妙心寺は、本件墳墓地入口及び納骨堂に貼付した本件貼紙並びに納骨堂に貼付した妙心寺墓地使用規則の貼紙を撤去せよ。
6 被告妙心寺は、原告らに対し、本件墳墓地内に設置された排水溝設備等を撤去せよ。
三 反訴事件
1 主位的請求
(一) 被告妙心寺が本件墳墓地につき所有権を有することを確認する。
(二) 個人原告らは、被告妙心寺に対し、それぞれ一覧表記載の墓石位置にある墳墓等を収去して本件墳墓地を明け渡せ。
2 予備的請求
被告妙心寺が本件墳墓地における法要等の典礼権を有することを確認する。
第二 事案の概要
一 争いのない事実等
1 当事者
(一) 被告妙心寺は、もと円福寺と称していたが、明治一六年五月三日に愛知県岡崎市にあった妙心寺と寺号交換をして、「妙心寺」となり、愛知県岡崎市の妙心寺が「円福寺」となった(以下、寺号交換前の円福寺と妙心寺を「旧円福寺」、「旧妙心寺」という)。
(二) 玉泉院(以下「旧玉泉院」という)は、旧円福寺の塔頭であったが、現在は塔頭関係は終了している(終了時期につき、原告らは、明治初年又は明治一一年と主張し、被告妙心寺は、旧玉泉院が原告極楽寺と合併した昭和四一年と主張している)。
(三) 旧玉泉院は、昭和四一年三月一五日、原告極楽寺に吸収合併された。
(四) 個人原告らは、旧玉泉院の檀家であり、旧玉泉院が原告極楽寺に合併した後は、原告極楽寺の檀家となっている。
2 本件墳墓地の使用状況等
(一) 本件墳墓地は、旧円福寺の所有であった。
(二) 本件墳墓地内には、被告妙心寺(旧円福寺)の墳墓のほか、旧玉泉院の歴代住職の墳墓(墓地図面斜線部分)がある。
(三) 本件墳墓地内には、旧玉泉院の檀家であった個人原告らの所有する墳墓がある。各個人原告らの墓石の位置及び最初に墓石が建立された時期(甲一六=玉泉院過去帳)は、一覧表及び墓地図面のとおりである(被告妙心寺は、原告武田正、同武田千代及び武田照行の墓地図面19の三基の墓石のうち南側の一基は存在しないと主張するが、甲一六、七三、乙二、検甲三六の1・2によりその存在が認められる)。
3 本件登記
本件墳墓地につき、京都地方法務局昭和二三年八月二〇日受付第一六一三四号をもって、被告妙心寺を所有者とする所有権保存登記がなされている。
4 本件墳墓地の占有管理を巡る紛争の経緯
(一) 原告熊谷黎子の墳墓南側のガレージ
被告妙心寺は、平成五年初ころ、原告熊谷黎子の墳墓の南側に二段のリフト式ガレージを新設した。
(二) 原告竹原敏雄の墓石の石の撤去
被告妙心寺は、平成四年一〇月ころ、墓地図面15の位置にある村川家の墓石(原告竹原敏雄所有)を囲む石(同原告は巻石と主張し、被告妙心寺はただの石であると主張している)を撤去した。
(三) 原告雨宮幸一の塔婆問題
原告雨宮幸一が平成四年一〇月に父の五〇回忌に立て(ようとし)た塔婆立てにつき、立てられた塔婆立てを除去したか(同原告の主張)、立てるのを拒絶した(被告妙心寺の主張)かで争いが生じた。
(四) 本件貼紙・使用規則の貼付
被告妙心寺は、平成四年一一月ころ、本件墳墓地入口と納骨堂等に本件貼紙及び使用規則を貼付した。
(五) 原告森川清太郎墓石の移動
被告妙心寺は、原告森川清太郎所有の墓石を移動した。
(六) 原告木村規矩の埋葬(納骨)拒否
被告妙心寺は、原告木村規矩が平成五年三月七日に同原告の墓地に母の遺骨の埋葬(納骨)を行おうとしたところ、これを拒否した。
(七) 妨害禁止仮処分
原告らは、被告妙心寺による右のような本件墳墓地の使用妨害に対し、京都地方裁判所に仮処分(平成四年(ヨ)第一二一七号)を申し立て、同裁判所は、平成五年八月一三日、以下のような仮処分決定(以下「第一次仮処分」という)をした。
(1) 被告妙心寺は、原告らが本件墳墓地においてする各墓地の墓参り及び墳墓の占有使用を妨害してはならない。
(2) 被告妙心寺は、原告らが本件墓地において納骨、回向などの宗教行為について、妨害してはならない。
(八) 排水溝設備等の設置
被告妙心寺代表役員らは、原告らに対し、「妙心寺墓地排水工事のお知らせ」と題する書面を送付し、本件墳墓地内で排水工事をすることを通告してきたため、原告らは、右工事の差止を求め、京都地方裁判所に仮処分(第二次仮処分)を申し立てたが、被告妙心寺において、当分の間、排水工事はしないとのことであったので、平成六年三月三日にこれを取り下げたところ、平成七年一月になって、墓地図面の赤線部分に排水溝及び水道設備(排水溝設備等)を設置した。右排水溝は、南北と東西のL字型になっているところ、南北の排水溝は、旧玉泉院歴代墓石から二〇ないし二五センチメートル、原告高野きぬの墓石(墓地地図4)から57.5センチメートル、原告小倉章男の墓石(同5)から五〇センチメートル、原告木村昌矩の墓石(同6)から六二センチメートルの位置にある。
(九) 柏木家の墓石建立
被告妙心寺は、訴外柏木家に対し、原告高野きぬ及び原告小倉章男の墓石と背中合わせになる位置に墓石の建設を承諾し、柏木家の墓石が建立された。
二 原告の主張<省略>
三 被告の主張<省略>
四 争点
1 本件墳墓地の所有権の帰属
2 原告らの本件墳墓地の永代使用権の有無
3 本件墳墓地における典礼権の帰属
4 被告妙心寺による墓地使用権妨害行為の有無
(一) 原告熊谷黎子の墓石倒壊のおそれ
(二) 原告竹原敏雄の墓石の巻石の無断撤去
(三) 原告雨宮幸一の塔婆問題
(四) 本件貼紙・墓地使用規則の掲示
(五) 原告森川清太郎墓石の移動
(六) 原告木村規矩の埋葬(納骨)拒否
(七) 排水溝設備等の設置
(八) 柏木家への墓碑建立許可
第三 争点に対する判断
一 本件墳墓地の所有権の帰属について
1 証拠(甲三、二六、二七、三一ないし三四、五四、原告極楽寺代表者)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 浄土宗西山深草派は、法然上人の孫弟子円空立信上人(一二一三年〜一二八四年)を派祖として成立した宗派であり、尭空道意上人(一二七〇年〜一三二八年)の代に京都猪熊綾小路に仏閣坊舎を建立し、正和五年(一三一六年)に花園天皇から「円福寺」の寺号が下賜され、旧円福寺が開創された。その後、戦乱の世に焼失・再興・移転等を繰返しながら、宗派の総本山としての位置を固め、天正一九年(一五九一年)に現在の妙心寺の地(京都市中京区新京極蛸薬師)に移転した。
しかし、明治維新に向かう動乱の中で元治元年(一八六四年)には兵火により堂宇等が全焼したうえ、明治初期の廃仏毀釈により境内地が狭められ、さらに新京極通りが境内地を割って新設されたことにより堂宇の再建が困難になった。
(二) 妙心寺(現円福寺)は、松平家第三代松平信光が長男親則の死を悼み、追善のために寛政二年(一四六一年)に円福寺第六世照空暢上人の弟子教然良頓上人を迎えて、現在の愛知県岡崎市に創立した。
(三) そして、同宗派は、円福寺再興策として、旧円福寺と妙心寺(現円福寺)とを転地・寺号交換することにし、明治一六年五月三日、その旨衆議の一致をみた。その結果、両寺は、本尊、脇仏、影像、什宝等運搬可能なものはすべて交換し、境内地、伽藍、墓地、樹木等の移転の困難なものは残置し、それぞれの地に移住した。
(四) 旧玉泉院は、円福寺三世尭空道意上人によって、円福寺の塔頭として建立され、円福寺とともに現妙心寺の地に移転されたが、旧円福寺と妙心寺の寺号交換にあたって、特段の取決めがなされた形跡はなく、旧円福寺と旧玉泉院の塔頭関係は、この時点で解消された。その後、旧玉泉院と被告妙心寺との間に塔頭関係が形成されたことはなく、旧玉泉院は独立寺院となった。
そして、旧玉泉院は、昭和二八年に第四一世山口貫成が死亡した後は、同住職の生前の意向も反映して、原告極楽寺住職鵜飼慶範を兼務住職に迎え、昭和四一年五月三日に至って、原告極楽寺に吸収合併された。
2 本件墳墓地がもと旧円福寺の所有であったことは当事者間に争いがないところ、原告らは、旧玉泉院が旧円福寺から独立したことにより、旧玉泉院と被告妙心寺の共有になったと主張する。そして、右主張は、塔頭関係においては、塔頭は本寺の構成要素であるから、その関係を継続する限り、所有区分は存在しないが、同等の権利を有しているのであって、独立時には、当然に共有関係が生じるとする見解によるもののようである。
しかし、原告らも指摘するとおり、塔頭は、寺院の一構成要素に過ぎないのであって、特段の事由がない限り、寺院の所有する財産に対し、独立した権利主体とはならないと解するのが相当であり、原告らの主張はその前提において容認しえない。
3 加えて、(一) 旧円福寺は、社寺境内外区画取調規則(明治八年六月二九日地租改正事務局達乙第四号)に基づく旧境内八五五坪五合一勺の区分として、現境内(本寺境内二八二坪三合、旧玉泉院境内七二坪五勺三合)、墓地(一〇二坪六勺―本件墳墓地はその一部である)、人民居住地(二四九坪七合七勺)、荒蕪地(一四八坪八合五勺)の区分を届け出ていること(乙四)、(二) 被告妙心寺の寺院明細帳の図面には右墓地の記載があるのに対し、旧玉泉院が独立した後とみられる明治一七年九月の記載がある旧玉泉院の寺院明細帳の図面には本堂と庫裏を中心とした境内(九一坪六合三勺)部分しか表示されていないこと(甲二六)、(三) 明治一九年四月一四日、被告妙心寺は、右墓地につき地券の交付を申出ていること(乙二八)、(四) 同年一一月八日、京都府知事は、(一)の届出どおり、右墓地を含めて旧円福寺の現境内を定めていること(乙五)、(五) 土地台帳にも、右墓地の所有主氏名として、当初、共有墓地とされていたが、妙心寺共有墓地から妙心寺に改められていること(乙八)が認められる。
これらの事実は、いずれも本件墳墓地が被告妙心寺の所有であることを示している。
4 原告らは、種々の理由をあげて、本件墳墓地は、旧玉泉院が独立した後は被告妙心寺と旧玉泉院の共有となったと主張するが、土地台帳に「共有墓地」の記載があるのは、檀家による外形的な共同利用の事実を基礎として表示されたものと解する余地があり、必ずしも檀家との共同所有の意味で用いられているとは認められず、旧玉泉院ないし原告極楽寺が本件墳墓地の維持管理の経費を負担したことがあること(昭和三五年一〇月、墓地水道設備費として二〇〇〇円負担―甲一三、昭和六〇年三月、墓地銀杏の伐採、参道石段の補修協力金として三〇万円負担―甲二五等)は認められるが、これらの事実から直ちに共有関係の存在を認めることはできず、その他の指摘事実も共有関係を根拠づけるものではなく、他に共有関係を認めるに足りる的確な証拠はない。
5 右のような諸事情を勘案すれば、本件墳墓地は、旧円福寺の所有であり、寺号交換の結果、移転されなかった境内地や伽藍等とともに被告妙心寺に所有権が移転されたものと解するのが相当である。
二 原告らの本件墳墓地の永代使用権の有無について
1 本件墳墓地内には、旧玉泉院歴代の住職の墳墓が多数あり、最も古いものでは、享保一三年の一三代傳翁諄等上人の墳墓がある。また、個人原告らの墳墓でも、三〇〇年を越えるもの(原告高野きぬ―元禄三年(一六九〇年)―墓地図面4)がある。そして、旧玉泉院の檀徒である個人原告らの墳墓は、本件墳墓地の相当部分を占めている。このような事実からすれば、旧円福寺は、塔頭であった旧玉泉院及びその檀徒に対し、本件墳墓地内にそれぞれの墳墓を設置することを承認してきたものと認められる。
2 被告妙心寺は、本件墳墓地の使用関係は、塔頭関係を前提とした使用貸借であり、塔頭関係を離脱した以上当然に使用権を失うと主張する。
たしかに、一般に寺院墓地は、自宗派の檀徒にのみその墓地の使用権を認めることが多く、使用関係を形成する時点で、その前提を欠くに至った場合について明確な合意がなされている場合には、宗派の離脱を理由として、埋葬蔵を拒否することについて、墓地、埋葬等に関する法律一三条の正当事由が認められる場合が考えられないではない。
しかし、本件墳墓地の利用関係は、江戸時代あるいはその以前にも遡るものであって、土葬の時代もあったことからすれば、地上の墳墓だけでなく、土地自体も墳墓の一部をなしており、火葬による遺骨の埋設のみであっても、地下に一定の施設を有するものであって、墳墓とその敷地である墓地使用権とは一体のものである。墳墓の所有権は、そのような墓地使用権と一体の権利として、祭祀の主宰者に承継されていくものであり、永続性を持つとともに、容易に移転することのできないものである。
そのような墓地使用権の特殊な性格(永続性、固定性)に加えて、本件の場合、使用を開始した当時、どのような合意が成立していたのか明らかでないだけでなく、旧玉泉院が旧円福寺の塔頭でなくなったのは、旧円福寺が再興のため、愛知県岡崎市に転地したことによるものであって、旧玉泉院が一方的に塔頭関係を解消したわけではないこと、さらに、個人原告らについては、旧玉泉院の檀徒として、旦那寺である旧玉泉院の動静に従うしかない立場であることなどからすれば、塔頭関係を解消させた旧円福寺は、従前と同様に原告らに本件墳墓地を使用させる義務があり、寺号交換により本件墳墓地を取得した被告妙心寺は、旧円福寺の右義務も承継したというべきである。
したがって、被告妙心寺の右主張は採用できない。
3 次に、被告妙心寺は、原告らの墓地使用権は、旧玉泉院を原告極楽寺が合併した際に、原告極楽寺において旧玉泉院関係の墳墓の撤去を承諾したと主張する。
しかるところ、昭和四六年三月一四日に被告妙心寺の住職及び檀家総代が連名で「旧玉泉院所属墓石の措置移転についてお願い」と題する書面(乙一五)を原告極楽寺に送付し、その中で、原告極楽寺が旧玉泉院を合併することについて、原告極楽寺から、本派京都教区寺院集会の席で発表があり、その節旧玉泉院墓石の処置については原告極楽寺で引き取り移転するとの答弁があったとして、近隣環境も著しく変化してきた時代の推移もあり、早急に処置願いたい旨の要請をしたところ、原告極楽寺は、同年四月一三日に檀信徒総会に諮ったが、永年伝統と由緒のある墓碑を他に移転することには同意出来ず、現状を維持するとの決議がなされたとして、貴意に沿いかねる旨の返書(乙一六)を原告極楽寺住職と檀信徒総代の連盟で送付していることが認められる。右のやりとりにおいて、被告妙心寺の指摘に対し原告極楽寺が何らの反論もしていないことからすれば、合併時に旧玉泉院関係の墳墓の移転について原告極楽寺が了承していたと窺われなくもない。
しかし、右以外に墳墓移転の合意があったと認めるに足りる十分な証拠はなく、原告極楽寺が右のような発言をしたとしても、移転時期も明確になってはおらず、これをもって本件墳墓地の使用権が消滅したと認めるのは困難である。
4 以上の次第であるから、原告らは、本件墳墓地につき、現に墳墓を有する限度において、かつこれが存続する限りにおいて、当該墳墓及びそれに至る通路を含めて、これを使用する権利があるというべきである。
三 本件墳墓地における典礼権の帰属について
1 寺院は、その属する宗派の宗教的活動のために存在し、寺院墓地の設置管理もまたその宗教的活動の一環であるから、埋葬蔵に関して墓地において行われる典礼を自己の宗派の法式に則って執行することも、当該寺院の宗教的活動として尊重されなければならない。そして、寺院墓地は、当該寺院の檀徒のために設けられたものであり、檀徒を中心とした宗教的活動によってその寺院が支えられている側面も無視することは相当ではない。したがって、本件墓地においても、これを所有し、墓地の管理(乙二六)を行っている被告妙心寺が自ら典礼を行う権限を有することは明らかである。
2 しかるところ、現状においては、本件墳墓地内に原告極楽寺の檀徒となった個人原告らの多くの墳墓が存在し、個人原告らは、旦那寺である原告極楽寺による典礼を求めている。かかる事態は、本件墳墓地を所有していた旧円福寺の塔頭であった旧玉泉院が、旧円福寺の一構成員として、旧円福寺の承認のもとに、江戸時代から永年にわたり、自己の檀徒(すなわちそれは旧円福寺の檀徒でもあった)に対し、本件墳墓地に墳墓を設けることを許可し、典礼を行ってきていたところ、本寺たる旧円福寺が寺号交換により他の地へ転地し、被告妙心寺が右のような利用状態にある本件墳墓地を承継したことに端を発するものであり、さらに旧玉泉院を原告極楽寺が吸収合併したことによって生じたものである。
先に示した観点からすれば、同一宗派(浄土宗西山深草派)に属するとはいえ、墓地を所有し管理している被告妙心寺と本末関係もない独立した別寺院たる原告極楽寺が本件墳墓地において典礼を行うことは異例というべきであって、原告極楽寺が合併に際し、旧玉泉院関係の墳墓の移転を表明していたとみられることからしても、いずれ解消されなければならないことと考えられる(被告妙心寺側からは、昭和五一年七月に開宗八〇〇年記念事業として墓地整備を計画しており、旧玉泉院檀家墓と被告妙心寺墓との区分が提案されている(甲一五)。これに限らず合理的な提案に対しては、双方の真剣な検討が望まれる)。
3 しかし、旧玉泉院が旧円福寺の塔頭であった時代はもとより、寺号交換によって、被告妙心寺がこの地に転地して来た後においても、旧玉泉院の檀徒は、旧玉泉院住職による典礼を受け続けてきたのであり、旧玉泉院が原告極楽寺に合併された後においてさえ、被告妙心寺が旧玉泉院の檀徒であった個人原告らの典礼を行ったことはなかったのであって(原告極楽寺及び被告妙心寺各代表者)、宗派において、被告妙心寺ではなく、原告極楽寺が旧玉泉院を合併することを承認しながら、本件墳墓地の利用関係を明確化しなかった以上、被告妙心寺としては、旧玉泉院の檀徒であった個人原告らがその継承者である原告極楽寺による典礼を望む以上、従来どおり、これを承認せざるをえないものというべきである。
4 以上のような経緯のもとでは、原告らに関して、被告妙心寺は、原告極楽寺による典礼を拒絶することはできず、その限りで、原告らに関して典礼権を有しないと解するのが相当である(なお、付言するに、原告極楽寺は、原告らを代表してこれまでも相応の維持管理費用を負担してきているが(甲五七の1〜4、甲六六等)、被告妙心寺が原告らに対し、応分の管理費等を請求することは別論である)。
四 被告妙心寺による墓地使用妨害行為について
1 原告熊谷黎子の墓石倒壊のおそれ等
証拠(甲八、一八、六一、検甲四ないし四八、原告熊谷黎子)によれば、平成五年初めころ、原告熊谷黎子の墳墓(墓地図面7)の南西側に二段のリフト式ガレージが作られたこと、車両が入庫しているときは、車両の一部が墓地側(北側)に相当はみ出した状態であり、墓地としての風情を損なうものであること、同原告(昭和三年生)は、子供のころから墓参に訪れており、特に支障もなかったが、右ガレージができたため、墓前の空間が五〇センチメートル足らずまで狭められ、墓碑に真っ直ぐ向いて屈むこともできなくなっていることが認められる。
しかし、右ガレージの構造等からみて、車両が同原告の墳墓の方向にずれることは考えられないから、右ガレージが作られたことによって、同原告の墓石が倒壊するおそれが生じたとはいいがたいが、墓地としての景観上問題があるだけでなく、同原告の墓参の妨げともなっており、心ない行為として非難を免れない。
被告妙心寺は、駐車場の必要性を主張し、かつ、右ガレージ部分は、本件墳墓地以外の土地であるというが、同原告の墓参に支障が生じるようになったことからすれば、一部は本件墳墓地にかかっている可能性も否定できないし、仮にそうでなくとも、参詣者に不快感を与えるような施策は、墓地の管理者として望ましいものでないことに変わりはない。
2 原告竹原敏雄の墓石の巻石の無断撤去
(一) 証拠(甲七、一一、二〇、六二、六七、六九、七〇、検甲七ないし一一、五五ないし五九、原告竹原敏雄)によれば、原告竹原敏雄の母の里である村川家の墳墓(墓地図面15)は、明治一一年に建立されたものであり、墓石の四囲を囲うように石の枠が埋設されていたところ、平成四年一一月四日に竹原三千枝の母の三五回忌を右の墓前で行った際、墓石の裏(西)側を除く三方の石が撤去されていることに気付いたこと、驚いた竹原三千枝が被告妙心寺に聞くと捨てたといわれたことが認められる。
(二) 同原告は、撤去された石は、墓石の基礎を囲う巻石であるというが、比較的新しい墓石(例えば検甲三八の1、四〇)の巻石は、墓碑を中心に対称に置かれ、部材も大きく堅牢に見えるのに対し、残された西側の石は、時代の違いを反映しているのか、その大きさ、位置関係からみても、墳墓の範囲を示す程度のやや簡易なものと推定され、撤去された石は、墓石の構成部分とはやや趣を異にするが、巻石の類と認めることはできる。
(三) 被告妙心寺は、村川家の墓石の周りにあった石を無断で捨てたことは認めるものの、同原告側が無断で墓石を移動したうえ、通路部分となる墓石の周りに自然石を並べていたから撤去したにすぎないを主張する。
しかし、墓石の移動を認めるに足りる証拠はないし、かえって、検甲八によれば、右村川家の墓碑(棹石)には「昭和五五年四月更碑」と記載され、右のころに棹石のみを取り替えたことが認められるが、その以前に土台部分を移動させる必要性も見い出せず、工事人が墓地に入れば被告妙心寺側で気付かないはずもなく(本件墳墓地には、新京極通に面した被告妙心寺の薬師堂を抜け、庫裏(住職の居所)の横を通らなければ行けない―(乙二一の2)、そのようなことが無断で行われる可能性は極めて乏しいものと考えられる。また、同原告らが、通路部分に自然石を並べたという主張もいささか不自然であり、採用できない。いずれにしても、無断で撤去する行為自体非難を免れない。
(四) 被告妙心寺の右行為は、同原告の所有にかかる墳墓の一部分を無断で撤去したうえ、捨ててしまったというのであり、客観的な価値はともかく、一〇〇年を経た祖先の霊を祀る墳墓の一部であり、祭祠主宰者の信仰心を傷つけるものであって、違法というべきであり、被告妙心寺は、これによって同原告が被った精神的損害を賠償する義務を負うべきである。そして、その慰謝料額は、右の諸事情を勘案して一〇万円と認める。
3 原告雨宮幸一の塔婆問題
(一) 原告雨宮幸一は、平成四年四月に雨宮家の墓を建立し、父の五〇回忌に塔婆を立てて法事をしたが、被告妙心寺が、石屋に指示してこの塔婆立てを外させ捨てたと主張し、原告雨宮幸一は、同原告の陳述書(甲一〇、六四)や本人尋問において同様の趣旨を述べている。これに対し、被告妙心寺は、塔婆立てを立てるのを拒否したことはあるが、立てられた塔婆立てを撤去したことはないと主張している。
(二) 現実に立てられた後に撤去されたのか、立てる前に拒否されたのかというようなことは、原告側においては、依頼した石屋の証明を提出するなど比較的容易に証明することができる事項であるにもかかわらず、原告側は本人の説明以外になんら客観性のある証拠を提出していない。そのうえ同原告は、陳述書では触れていなかったにもかかわらず、本人尋問では、突如として、石屋から完成した旨の連絡を受け、現場に見に行ったら、ちゃんと塔婆立てがあったと述べている。
しかし、この問題の争点が右の点にあることからすれば、完成した塔婆立てを見分したか否かは極めて重要であり、このような重要な事実が二度までも陳述書を提出しながら記載されなかったのは不自然というほかはない。さらに、完成したという塔婆立てを法要の前日にわざわざ見に行ったというのも容易に首肯しがたいところである。加えて、本件墳墓地に至る経路から考えても、石屋が被告妙心寺に断わりもなく墓地に入って工事をすること自体困難と思われる。
右のような事情を考慮すれば、この問題については、被告妙心寺の主張するように、塔婆立てを立てる前に拒否したものと判断するのが相当である。
(三) そこで、右塔婆立て設置の経過及び被告妙心寺の拒否理由を検討するに、同原告及び被告妙心寺代表者の各本人尋問の結果によれば、同原告は、平成四年四月二一日に行われる予定の父の五〇回忌法要に大塔婆を奉納することにし、被告妙心寺に断わることなく、直接石屋に依頼し、墓地図面21にある墓石(北側のもの)の裏側に塔婆立てを立てさせようとしたこと、被告妙心寺は、同被告が無断で塔婆を設置しようとしていることを知り、立てようとしている塔婆立てが大きいものであったため、同原告や原告極楽寺側に連絡することもなく、直接石屋に工事の差止めを命じたことが認められる。なお、被告妙心寺代表者は、その設置位置が当時21の東側にあった山本の墓との間であり、自寺の檀家である山本から異議がでることを慮んばかって拒否したと述べているが、被告妙心寺の指示で作成された当時の墓地地図(乙二)から見ても、同原告が塔婆立てを立てようとしていた墓地図面21の墓石(北側のもの)の裏側には相当の空地があるようであり、右理由が本心であるかはいささか疑わしい。
(四) 本件墳墓地は、整然と区画されて販売されている霊園などと異なり、往昔より順次墓碑が建立されてきたものであり、各墳墓の境界も明確ではないが、巻石で囲まれた範囲内や墓石上はともかく、その範囲を超えて新たな工作物を設置する場合は、直接、あるいは原告極楽寺を介して、本件墳墓地の所有者である被告妙心寺の承認を受けるべきであり、一言の連絡もしなかった同原告の態度にも問題がなかったとはいえない。しかし、他方、法要を控えており、塔婆の奉納は回忌法要にとって重要な儀式であることは、被告妙心寺自身当然認識していることであり、設置場所や規模が適切でないなら、原告側と協議して、設置場所や大きさを再検討させるとか、法要後の撤去を求めるなど対応の仕方はあるはずであり、一方的に拒否することは穏当であるとはいえず、違法性まで有するものとは考えられないが、原告側に対する嫌がらせととられても仕方がないというべきである。
4 本件貼紙・使用規則の掲示
(一) 被告妙心寺が平成四年一一月ころに本件墳墓地入口と納骨堂等に本件貼紙及び使用規則を貼付したことは当事者間に争いがなく、その内容は、別紙(2)(3)のとおりである。そして、原告らは、これらの文書の貼付により、原告らの信仰の自由や礼拝の自由が侵害されていると主張する。
(二) そこで検討するに、先ず、本件貼紙は、(1) 本件墳墓地が被告妙心寺の墓地であること、(2) 本件墳墓地に墳墓を有する者に被告妙心寺による法要の申出を期待していること、の二点をその内容とするものである。
しかして、既述のとおり、本件墳墓地は被告妙心寺の所有するものであるから、右(1)はその事実を表明するにすぎず、被告妙心寺の檀家でない原告らが本件墳墓地を使用する権限があることと何ら矛盾するものではないし、これによって原告らの信仰の自由や礼拝の自由が侵害されるいわれはなく、原告らの右主張は採用できない。
また、(2)についても、本件墳墓地には、原告らの墳墓の他に被告妙心寺の檀家の墳墓も多数存在しており、被告妙心寺が自己所有の本件墳墓地に墳墓を所有する者に対し、それが自寺の檀家であるか否かにかかわらず、被告妙心寺による法要の申出を期待することは当然のことであるし、右のような掲示がなされたからといって、被告妙心寺に法要の申出をしない限り、墓参や法要を許さない趣旨とまでは解されず、これによって、原告らの信仰の自由や礼拝の自由が侵害されているとは認められない。
したがって、本件貼紙の撤去を求める請求は理由がない。
(三) 使用規則については、その内容は多岐にわたるが、主要な点は、以下のとおりである。
(1) 墓地使用者は、被告妙心寺の檀徒か墓地管理者(被告妙心寺代表役員)の承認を得た者とすること
(2) 墓地使用者は、葬儀、法要等の儀式はすべて被告妙心寺の定める法式によって行うこと。
(3) 墓地使用者は、一定の費用を負担すること
(4) 墓の建立、納骨等は管理者の許可を要し、異教徒の埋葬は行えないこと
(5) 被告妙心寺の檀徒でなくなった場合や本規定に違反した場合等には墓地使用許可が取り消されること
(6) 墓地の継承者も被告妙心寺の檀徒であること
(右規定の検討)
(1) 右(1)の点は、本件墳墓地が被告妙心寺の所有である以上当然のことであり、原告らは、先に認定した経過によって、被告妙心寺の承認を得て本件墳墓地を使用しているものと認められるから、原告らの地位に影響を及ぼす規定ではない。
(2) 右(2)(5)の点は、原告らについては、被告妙心寺に典礼権がないことは先に判断したとおりであるから、原告らには適用されないものというべきであるが、現実には、原告らに対して、被告妙心寺による典礼を受けさせるべく精神的な圧迫を加えるおそれがないわけではない。
(3) 右(3)の点は、原告らにおいて本件墳墓地をし、被告妙心寺がその管理をしている以上、応分の管理費用を負担するべきであり、現に、原告極楽寺において、原告ら全員を代表して、これまでも一定の負担には応じてきている。もっとも、右負担額を被告妙心寺が一方的に定めたからといって、原告らが当然にそれに拘束されるとはいえず、その意味で右規定は、原告らに直ちに適用があるものとはいえない。
(4) 右(4)の点は、原告らが現に使用している範囲を超えて新たに墓石等を設置しようとする場合には、本件墳墓地の所有者である被告妙心寺の承諾を要することは当然である。また、納骨については、典礼に関する部分は除き、埋葬許可書を墓地の管理者である被告妙心寺に提出するように求めることは、従前の取扱いと異なるとしても不合理とはいえない(埋葬を拒否することは、墓地、埋葬等に関する法律により原則としてできないから、被告妙心寺の許可を要するとする点は適当でない)。
(5) 右(6)については、原告らは、現に被告妙心寺の檀徒ではなく、その承継者が被告妙心寺の檀徒でなければならないとする理由はなく、少なくとも原告らに関しては、右規定を適用して、承継者が被告妙心寺の檀徒にならなければ墓地使用権を取り消すことができると解することはできない。
(四) 以上のとおり、使用規則には、一部、原告らには適用されるべきでない規定があり、解釈上そのように解されることは別として、事実上、原告らに違反すれば墓地使用を取り消されるようなおそれを抱かしかねない規定がある。しかし、原告らに適用される部分が明確になれば、そのようなおそれは概ね解消できるのであって、このことによって原告らの信仰の自由や礼拝の自由が侵害されるとまでは認められない。
また、使用規則は、寺院墓地の規則としては、その管理上、必要にして合理的な規定が大部分(前記(6)は、被告妙心寺の檀徒であっても、そのまま適用できるかは墓地、埋葬等に関する法律との関係で疑問がある)であるところ、原告らとの間でのみ別異に解さなければならない点があるのは、先に見たような旧円福寺と妙心寺との転地・寺号交換や旧玉泉院が原告極楽寺に合併されたことから、寺院墓地としては異例の共同使用関係を生じたものであり、このような特異な状況があるからといって、寺院墓地の規則として特に不合理でないものの撤去を命ずるのは妥当でない(なお、原告らは、使用規則の成立についても疑問を投げかけているが、原告らは、被告妙心寺の檀信徒ではなく、これを問題にする立場にはない)。
5 原告森川清太郎墓石の移動
(一) 証拠(甲一七、一九、原告極楽寺代表者、被告妙心寺代表者)によれば、原告森川清太郎の墳墓は、元は被告妙心寺の借家二軒に囲まれた位置にあったところ、その借家に車が衝突した影響で同原告の墓石が傾いたこと、壊れた借家を改築するため右墓石が障害となったこと、そこで、被告妙心寺は、原告極楽寺に連絡し、右墓石の移転を要請し、原告極楽寺と同原告は、協議の結果、被告妙心寺の檀家にはならないことと、費用を負担しないことを条件にこれを承諾したこと、その後、被告妙心寺は、原告極楽寺にも同原告にも移動場所や時期を連絡せず、現地(墓地図面9)に移転したことが認められる。
(二) 被告妙心寺は、同原告に移動時期等を知らせなかったのは、原告極楽寺が同原告の連絡先を教えなかったためであるという。しかし、移動の承諾は原告極楽寺を経由しているのであり、移動場所や時期も原告極楽寺を介して連絡することはできるから、被告妙心寺の右主張は連絡しなかったことを許容する理由とはならない。
(三) また、被告妙心寺は、右墳墓には、骨壺が三つくらいあったが、被告妙心寺において抜魂法要等をしたと主張する。右事実を認めるに足りる証拠はないが、仮にそのような法要が営まれたとしても、祭祀の主宰者等の参列の機会を奪うものであるうえ、これまで被告妙心寺の典礼を受けていなかった同原告が宗教的感情を傷つけられたことは容易に想像できることであり、被告妙心寺の行動は、強く非難されて然るべきである。同原告が、後に墓石の移転に対し、応分の謝礼をしたからといって(乙九)、被告妙心寺の右のような行為が正当化されるべきものではない。
6 原告木村規矩の埋葬(納骨)拒否
(一) 証拠(甲二四、六三、原告木村規矩、原告極楽寺代表者、被告妙心寺代表者)によれば、原告木村規矩は、その母の一〇〇ヶ日にあたる平成五年三月七日に本件墳墓地にある木村家の墓に母の遺骨を埋葬(納骨)しようとして、あらかじめ埋葬許可書を同寺に提出して埋葬(納骨)を依頼しており、同日、兄弟ら八名とともに同家の墓を訪れ、原告極楽寺の住職の指示で石材業者が墓地の下を掘りかけたところ、被告妙心寺の住職はじめ関係者数名が同所に出向き、業者に裁判中であるとして作業の中止を求め、納骨しないよう強く要求した。被告妙心寺のこのような言動に対し、同原告や参会者は強い憤りを感じ紛議が生じたが、原告極楽寺の住職が一旦遺骨を同寺に持帰るようになだめ、当日の埋葬(納骨)は見送ったこと、第一次仮処分決定を得た後、原告極楽寺から被告妙心寺に埋葬許可書の写しが提出され、一回忌に当たる日に埋葬(納骨)したこと、原告極楽寺は、昭和六一年から平成四年までの間だけでも個人原告らの関係の埋葬(納骨)を一〇件執り行っているが、この件までは、被告妙心寺から埋葬許可書の提示を求められたことも、埋葬(納骨)を拒否されたこともなかったことが認められる。
(二) 被告妙心寺は、埋葬許可書の提示を求めたが同原告が応じながったことと、掘削範囲が従来の使用範囲を超えていたからであると主張しているが、これまで埋葬許可書の提示を求めたことはなかったうえに、それが理由であるとすれば、原告極楽寺が所持しているのであるから、当日でも後日でも提示は可能であり、遺族が参集しているのに埋葬(納骨)を拒否する必然性があったとはいいがたい。また、後者の事実については認めるに足りる証拠がない。
(三) 右によれば、遺族にとっては極めて重要な儀式を被告妙心寺によって故なく妨害されたというべきであり、深い心の痛みを与えたことも容易に理解できる。
7 排水溝設備等の設置
(一) 証拠(甲一五、五八、六〇、六八の5、六八の6の1・2、乙二、二七、検甲一二ないし一七、検乙一ないし一一、原告極楽寺代表者、被告妙心寺代表者)によれば、次の事実が認められる。
(1) 本件墳墓地は、低地にあり、雨水が流れ込みやすい位置にあるところ、以前は、東西に排水溝があり、茉南側の蛸薬師通に排水を流すことが可能であったが、戦後、右通りの拡張工事のため排水管が潰れ、排水の途がなくなった。
(2) 被告妙心寺は、前住職(代表役員)の時代から墳墓の整理とともに排水対策の必要を考えていたが、原告らとの協議が進展しないままに放置されてきており、そのため現状においては、雨が降れば水浸しになり、降雨時や雨の後などの墓参に支障をきたすような状況にある。
(3) 被告妙心寺は、現在の住職(代表役員)に変わった後、平成五年一一月ころ、個人原告らに対し、「妙心寺墓地排水工事のお知らせ」と題する書面を送付し、原告らの墳墓の移動を伴った排水工事をすることを通知してきたため、原告らは、右工事の差止を求め、京都地方裁判所に第二次仮処分を申し立てたが、同仮処分事件は、被告妙心寺が当分の間排水工事はしないと表明したことから、平成六年三月三日に取り下げられた。
(4) 被告妙心寺は、本件墳墓地内の被告妙心寺を檀家とする墳墓等の整理、移転等を行っており、原告らの墳墓を移転することなく排水溝を設置できるようになったこともあって、平成六年一二月末から平成七年一月一二日にかけて、今度は原告らに知らせることもなく、突然、水道設備とともに排水溝を設置したが、右排水溝の位置は、墓地図面に記載のとおりであり、前示のとおり、一部の原告らの墳墓の近くを通っている。
そのため、原告極楽寺(旧玉泉院歴代の墳墓)、同高野きぬ(墓地図面4)、同原告小倉章男(墓地図面5)、同木村昌矩(墓地図面6)は、墓参の際、排水溝の上(鉄製の簀の子状の蓋がある)に額ずくようになる。
(5) 右排水溝は、現在のところ、公共下水等に接続されてはおらず、排水溝及び途中の桝にある程度の排水(三箇所の桝だけで約六〇リットル)を貯めることができるだけで、排水溝としての機能は有していない。但し、本件墳墓地の南東角に蛸薬師通の公共排水路に通じる排水管が設けられており、原告武田正らの墳墓(三基のうち南側の二基)を移設すれば右排水管に接続することは可能である。もっとも、同原告らと事前に協議もしていないし、同意が得られる見込があって工事を実行したわけでもない。
(二) 右のような事実によれば、本件墳墓地の排水が改善されることは、墓地利用者全員にとって利益になり、環境面での改良も図られることであり、本来であれば、原告・被告双方が実現にむけて協力して然るべきことである。
そのような協力関係が形成できていない現状で、かつ、第二次仮処分事件があったにもかかわらず、被告妙心寺において、原告らの墳墓の移転を伴わないという理由で、一方的に建設を強行したのは、かえって双方の不信感を深めるだけであり、公共排水路への接続の可能性をかえって狭めるものとさえ思われるし、現状のままでは、桝や排水溝にわずかな水を蓄えられるとはいえ、さしたる効果があるとも考えられない。その点からすれば、被告妙心寺が紛争継続中にこのような排水設備工事を強行したのは、対立関係にある原告らに対する妨害的意図が感じられないではない。
(三) しかし、原告らは、本件墳墓地に対し、墳墓を所有し、その限りで使用する権限を有するだけであり、墓地の性格上、著しく不相応な環境に変更されることは、これを差し止め、あるいはそのような設備等の排除を求めることができる場合があるというべきであるが、右に認定の限度では、未だ排水溝設備等が原告らの使用を著しく妨げているとまでは認められないし、精神的な屈辱感を与えているとか、信教の自由を侵害するとまではいえない。
したがって、原告らの排水溝設備等の撤去請求は、認めがたいというほかはない。
8 柏木家等への墓石建立許可
(一) 証拠(甲三七、六〇、検甲四の1・2、五の1・2、六、原告極楽寺代表者、被告妙心寺代表者)によれば、被告妙心寺は、訴外柏木家に対し、原告高野きぬ及び原告小倉章男の墓石と背中合わせになる位置(ほとんど原告小倉章男の墓石の真後ろで、原告高野きぬの墓石にはわずかにかかる程度)に墓石の建設を承諾し、平成五年六月ころ、柏木家は右原告らの墓石の巻石にほぼ接して墓石を建立したこと、被告妙心寺から右原告らには事前の説明もなく、原告小倉章男の場合は、墓石の後部から納骨するようになっているため、今後納骨の必要が生じた場合、支障が生じることが認められる(墓石の前面を掘って埋葬するにしても、前面には、前記排水溝のため、五〇センチメートル程度しか空地はなく、不可能ではないにせよ、大きな負担となることは否定しえない)。
(二) 被告妙心寺の柏木に対する承諾は、右原告ら、とりわけ原告小倉章男に対し、大きな犠牲を強いることになることを意図したものとまではいえないにせよ、事前に説明するなど墓地使用者に対する配慮を欠いたことから生じたものであり、少なくとも過失により、原告小倉章男の本件墳墓地使用権を侵害したと評価すべきである。
9 その他
証拠(甲七、四七、六五、原告多羅喜美子、原告極楽寺代表者)によれば、平成四年一一月以降、被告妙心寺の使用者が墓参者に対し身分等を尋ねたり、墓参している者の様子を近くから窺ったり、本件墳墓地に至る通路にあたる所に犬を繋いだり、物を置いて通りにくくするなど、原告らにおいて、無言の圧力を感じる言動がなされていることが認められる。
五 結論
以上の認定・判断に基づいて、原告ら及び被告妙心寺の各請求について、次のとおり判断する。
1 甲事件について
被告妙心寺が原告竹原敏雄所有の墳墓の一部分を無断で撤去した行為は違法であり、被告妙心寺は、同原告に対し、慰謝料一〇万円及びこれに対する不法行為の日以後である平成五年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。これを超える同原告の請求は理由がない。
2 乙事件について
(一) 本件墳墓地は、被告妙心寺の所有と認められるから、原告極楽寺と被告妙心寺との共有を前提とする更正登記手続請求(請求1)、及び共有権確認(請求2)は理由がない。
(二) 被告妙心寺の原告らに対する言動からすれば、被告妙心寺において、将来も原告らが本件墳墓地に立ち入ることを妨害したり、原告らの墓石を損壊したり、墓参、納骨等の宗教行為を妨害するおそれがあるから、それらの禁止を求める請求(請求3、4)は理由がある。
(三) 本件貼紙、使用規則、排水溝設備等の撤去を求める請求(請求5、6)は、未だ撤去を命じるまでの違法性がないから、右請求はいずれも理由がない。
3 反訴請求について
本件墳墓地は被告妙心寺の所有に属するものと認められるから、その所有権の確認を求める請求(主位的請求1)は理由があるが、個人原告らは、本件墳墓地につき使用権を有するから、墳墓の撤去を求める請求(主位的請求2)は理由がない。また、原告らの墳墓に関して、被告妙心寺に典礼権があるとは認められないから、その確認を求める請求(予備的請求)は理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官井垣敏生)
別紙(1) 物件目録<省略>
別紙(2) 貼紙<省略>
別紙(3) 妙心寺墓地使用規則<省略>
別紙
(4) 墓石位置及び建立時期一覧表
原告
墓石位置
墓石建立時期
過去帳
(1)極楽寺
図面斜線
旧玉泉院
頁
(2)山口信雄
図面―8
一八八六(明治一九)年
九〇頁
(3)雨宮清之
図面―18
一八七七(明治一〇)年
一三頁
(4)雨宮幸一
図面―21
一九三八(昭和一三)年
一五頁
(5)小倉章男
図面―5
一八九一(明治二四)年
二一頁
(6)川合秀藏
図面―13
一七七四(安永三)年
二五頁
(7)川合正雄
図面―16
一九一八(大正七)年
二九頁
(8)木村昌矩
図面―6
一八四四(弘化元)年
八三頁
(9)熊谷黎子
図面―7
一七一三(正徳三)年
四三頁
(10)末廣恵三
図面―12
一八二〇(文政二)年
五七頁
(11)鈴木茂子
図面―3
一八四七(嘉永元)年
八七頁
(12)鈴木はつ
図面―3
一八四七(嘉永元)年
八七頁
(13)鈴木良一
図面―3
一八四七(嘉永元)年
八七頁
(14)高橋美枝
図面―1
一八五一(嘉永五)年
五頁
(15)高橋美枝子
図面―10
一九三五(昭和一〇)年
一一頁
(16)高野きぬ
図面―4
一六九〇(元禄三)年
六五頁
(17)武田正
図面―19
一七二八(文政一一)年
七五頁
(18)武田千代
図面―19
一七二八(文政一一)年
七五頁
(19)武田照行
図面―19
一七二八(文政一一)年
七五頁
(20)竹原敏雄
図面―15
一八七八(明治一一)年
四九頁
(21)多羅喜美子
図面―14
一七九六(寛政八)年
三一頁
(22)蜂須賀成元
図面―11
一九〇九(明治四二)年
八頁
(23)蜂須賀依子
図面―11
一九〇九(明治四二)年
八頁
(24)蜂須賀小夜子
図面―2
一九〇九(明治四二)年
八頁
(25)森川邦男
図面―20
一九二六(昭和二)年
三五頁
(26)森川清太郎
図面―9
一八七八(明治一一)年
五三頁
(27)森川ミ子
図面―20
一八五二(嘉永五)年
三九頁
(28)前田耕治郎
図面―17
一八七〇(明治三)年
七三頁
(図面=墓地地図)
別紙(5) 妙心寺墓地地図